地平線と山が重なりあう日

思いつき

こどもというのは相当ばかだ。

「ばか」という言葉はおかしいかもしれないが、理(り)にかなっていないと思われるようなことをする。ふと、自分がどれだけ大人の価値観に体中が対応しているんだなあと気づくときがある。ま。どっちでもよいのだが。

こども達は、いきなり、「目をつむって布団まで行きます」と言って、目を閉じて、手を前にして、布団のある寝室に行こうとする。ちらちら目を開けて確認しているものの、目を閉じながら、行けるところまで、もしくは恐怖感がやってくるまで、目を閉じて進もうとする。本当にばかなんじゃないかと思うのだが、これは、僕もやったことがある。
目を閉じて、行けるところまで自転車を漕いでみようといったものだ。直線で誰もいない、車も通っていないところなら良いが、車が通っているところや、細い歩道でやってしまうと、すぐに都会では木にぶつかってしまう。あとは段差でかなりびっくりすることになる。目をすぐに開けてしまう自分が「弱いな」と思い、10秒はがんばろうとか、30秒はがんばろうとか、思いながらやるのだが、怖さからすぐに目を開けてしまう。そのときは、自分の「運」だめしとか、「神に欲されている男なのだ」的なところを求めてやっているのかもしれないが、こどもの行動を見ると、ただただ、そんな理由はなくて、何かやってみたかったんだと思う。

理由があることもあるが、ほとんどが理由のないことが多い。ホライズンの歌詞がふとやってくるのも、理由なんてないからだ。、、、と書くと、「またまた、自己肯定して〜〜へい!へい!へい!」と言われてしまうのだが、、もうほとんど理由なんてない歌詞が、ホライズンでは出てくる(ことが多い)。でもそれがホライズンだったりする。たまに、「理由」とか、「わけ」とか、いれたくなって、説明的になっている部分もあるが、そんな歌詞は、あまりよくないはず。(注釈:僕のつくったもののみ)

雨の日には 傘をさして 空から落ちてくる 雨粒を 
ポケットに ためる日には 傘を閉じて 雨を待つ
晴れのち曇り 君を待つ 2人 傘持った 雨男 酒飲めない 酔っぱらい


いきなり、こども達は、スーパーボールを探して、こどもたちは、天井に向かって思いっきり投げ出す。あまりにも高速で投げるものだから、跳ね返って、跳ね返って、飼育しているすずむしの虫かごに直撃して、すごく、こども達は怒られていた。もちろん僕も怒るのだが、それは、すずむしの土がカーペットの上に散乱して、もしくは、すずむしが逃げ出して、それを掃除する大変さが煩わしいからだ。なんなら天井に穴があくかもしれない。もちろん、その横には、今年、たくさん獲ったかぶとむしや、くわがたもいるし、そのとなりには、夏祭りでつかまえてきた金魚、またハヤの類が、わんさかいる。そいつらに直撃して、水槽が割れて、水びたしになったことを、想像すると、本当に面倒くさい。その掃除をするのも面倒だし、金魚が死んでしまうのも、ちょっと寂しい。しかし、僕もこどもの時、そんなことは、考えずに、好き勝手やった。

昔、小学校3年生のときに、サッカーをしていた時、ボールが枠の外に出て、スローイング(外からポイッとなげるやつ)を、僕がすることになった。隣で審判をしていたK塚が、「ピッ」と笛を吹いた途端、急に僕は、そのKの方向に体をくるっとまわして、審判K塚の顔面めがけて、渾身の力でサッカーボールを投げた。わずが50cmくらいしか離れていなかったため、おもいっきりK塚の顔面にボールが直撃して、K塚は鼻から大量の出血をして、うずくまって、「何するんじゃ〜」とか言っていた。まわりのプレイしていた、小学3年生がぽかーんとしていたと思う。とっさに「ごめん。手がすべって」と、弁解をしたものの、手がすべるわけはない。コートとは、反対の方に身をひるがえして、確実にK塚の顔面に当てにいっているのだ。何故か、K塚の顔面にボールが突き刺さるイメージが浮かんでそこに向かって投げただけと思う。K塚が嫌いだったわけではない。そのメカニズムはわからないのだが、僕にはそういうところが多大にある。目立ちたいわけでもなく、何か、そういう欲求がふつふつと湧き出るときがあるのだ。最近はないが、そういう思い出が何個かあり、その都度、まわりを怒らせたり、ぽかーんとさせたり、同級生の女子から顔を叩かれたり、多分その当の本人から、死ぬまで嫌われると言う十字架を背負うことになり、そんな無意識なのかなんなのか、体からわき上がる行動のせいで、迷惑をかけたりすることがある。多分損な性である、うまく説明できないことが山ほどある。

とにかくこども達をみていると、そんなことを思い出させてもらえる。だからあまり怒らないようにしている。「他の人に迷惑だけはかけるなよ」という、素晴らしい教えもあるが、(もちろんそれは最もなのではあるのだが)僕には、理由なく迷惑をかけたい時や、半殺しにしたい時が、僕にはあるので、何とも言えないのである。もちろん理由あって迷惑をかけたいときもある。


とふと、そんな理由ないことを考えていると、クランペチーノテツンポで一緒に演奏した、、、、いや、、ステージで横に立たせていただいた、、という方がしっくりくるな。バイオリン奏者の木下さんのことを思い出した。木下さんは、かえる目というチームで、バイオリンを弾いているということしか知らなかったので、勝手なイメージで、クラシック畑(バイオリンを演奏しているいう理由だけで、、、すいません)の人だろうと思っていたら、帰り道「僕は、ソロとかで前衛的なこともやります」とおっしゃるではないか。楽譜を見て、演奏することの方が珍しいとおっしゃるではないか。なるほど、なるほど、と思っていたら、木下さんが、クランペチーノの演奏会本番で、「グワグワグワ、、キキキキュイキュイ〜〜」という楽譜にない音を、ほんの一瞬(5秒くらい)出した。僕は、その演奏、音を聴いて、「むっ!むっ!」、こころが動いた。別に前衛的なものとか、ノイズとか好きなわけじゃないのだが、何故か、その音に反応してしまった。木下さんの方も、そういうつもりではなかったのかもしれないが、本業を一瞬見せてくれたんだろうか?魂が入っていたのだろうか、その音が素敵だと思ってしまった。しかしそれは、それとも、たまたま出たのだろうか、僕は、その音に、本当に心が動かされてしまって、一人で帰る帰り道に「この感じは一体なんだったんだろう?」と思ってしまった。

また別の日、電車での帰り道、ipodで「かえる目」を聞いていると、木下さんのバイオリンの音を発見。そこで、普段気づかなかった木下さんの前衛的ともいえる「グワグワグワ、、キキキキュイキュイ〜〜」という楽譜にない音がちゃんとあるではないか。そのときは、「ここでカオスな音はいらないなぁ」と思ってしまった。「きれいなまま終わった方がいいなぁ」と思ってしまった。

それは、多分、僕が、大人の価値観、もしくはありきたりな判断力の器しか持っていないんだということの発見とも言えるなと今思い返しているところだ。

もう一度、こどもたちの意味不明な行動を肯定して、前衛的な音を理由もなく聴こうと思う。とか言ってビートルズとかわかりやすいものばかり聞くのだけども、、。たまには、ノイズとか、フリージャズのライブに行ってみようか、、。しかし、全く足を運ぼうとは、する気にならないのは、、何故か。


とか何とか言って、明日は「cero×ホライズン」の2マンライブです。
よろしくお願いします。悪さしないように心していきます。

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ここ(上の写真の時)で、僕ら2マンが全部決まりました。今年の2月ですね。
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by horaizunyt2 | 2012-11-10 22:58 | くろおか
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