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地平線と山が重なりあう日

現代怪談の会

久しぶりに風邪をひいた。グワングワンでほとんど目を開けられない!まずい!仕事を早退して、【帰る】という選択肢がすぐとなりに、「僕だよー」って「帰ると楽だよー」「寝た方がいいよー」と誘惑の言葉をかけられる。僕の中の弱い部分が僕を誘惑する。「絶対に帰って寝た方がいいって」提案1・・・帰って、明日の「現代怪談の会」に備えた方がよいかも、と余計なことを考える、、、。しかしわかっている。それは言い訳だ。「帰ったら、余計逃げることしか考えなくなるぞハイホー」という強気の黒岡さんの声が聞こえる。「休んだって無理。もっというなら休んだら終わり。休まない方が全部分つながってくるから」という声が聞こえる。「ここをなんとかするしかないのだ!がんばれー!」と声が聞こえる。その通りなんだ。歯車はまわっている時しか意味はないのだ。休んだら終わりで止まってしまうだけなんだ。ということで死にそうになりながら少しの睡眠で完全復活を求める。

なんとかフラフラのまま仕事を終え、家に帰って、「ごめん。ねるわ〜」と寝かしてもらう! 体調を整え、、たつもりになり、「怪談話をどうまとめるか!どう続け、どう終わらすか、」考える。考えるものの、やはり、一番しっくりいく答えが出ない。あとは電車に乗って、直前まで考えて、あとはその場をしのごうと思い円盤に到着。行くと、ばんせと新見さんが座っていて、なかなか良い空気を醸し出していた。新見さんは(怪談に疑問をもっている役でコメンテーター)で登場。なかなか良い。



ばんせの仕切りもなかなか良く、大人の怪談話しは始まったのでした。おもろかったなぁ。で、僕から始まって、入船亭扇里さんまで、全部聞き入ってしまった。終わった。素敵なメンバーでできたこと、そしてクオリティが素晴らしいかった他の出演者に、「クール」とエールを送りたい。素晴らしい。面白かった。


とはいえ、怖い話を聞いて思ったことを書こう。

怖い話と言うのは、ゾクゾクして、何故かすごいイメージが脳裏に浮かぶことである。怖い幽霊も、女が出てきたり、男が出てきたり、本棚が出てきたり、何故かぶるぶるしてしまう。そこで思ったことに、人間は何でもかんでもオチを付けたがるのではないかと言うことだ。オチが来ないと、何故か釈然としないし、マンガや、映画すべてにおいて、でてくる登場人物、登場してきたものが、意味を持っていないと納得できないと言うことだ。もともと、意味なんていうものではなく、それはたんたんと流れていくもので、意味付けはあとから、「じつは、あの本棚がさ、、」っていう意味を付けるのではないだろうか?だから怖い話で、オチがなくても、途中のゾクゾクが味わえれば怖い話として成立しているのでは、、とかなんとか思った次第であります。
話としては、九龍ジョーの話がとても怖かった(怪談だった)し、(最後の最後でフィクションとわかったが)ビーサンの一歩ずつ丁寧に話す語り口調は、それだったし、飯田華子さんのは、明確だし時代をトリップしていたし、入船亭扇里さんのは、本物の落語「牡丹燈籠」(古典落語とおっしゃっておりましたが、)は他で味わえない領域で、粋とか、その時代のたたずまい、落語のテンポ、話し方はとても興味をそそられたし、どれもこれも、すごかった。王舟の登場の感じとか、王舟そのままのケダルサ(と言ってよいのでしょうか)がまた、この会をしめたような気がしました。僕の場合は、とにかく自分が怖かった話、それでリアリティがちゃんと伝わる話を、何個か用意していったので、それは怪談ではなかったかもしれなかったが、いいところに出させていただいた。そんな気がしています。「現代怪談の会」というのにもあるように、「現代」がつくと、ちょっと反則をつかっても成り立つのではないか、、という逃げ場もあったので、やれました。伴瀬の「富士山」の話(王舟が来るまでという限定で話しはじめたら2分後に王舟が登場、伴瀬の話はオジャンになった。)は僕個人的には4回くらい、(そのリアルな怪談事件があってすぐ、、後日飲み屋で、また後日飲み屋で、また後日居酒屋で)聞いていたので、もうオチはわかっていました(オチなんてないけど)。

怖いはなし。あの九龍ジョーのつくりこみには、ちょっといたずら心も入っていて、刺激されました。うん。飯田さんの、あの昭和に持って行かれる感は何なのでしょう。あれかな。「電車」じゃなくて「汽車」ってところかな。

by horaizunyt2 | 2012-04-24 00:30 | くろおか
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